観光随行、長野から製造拠点へ
今日はお客さんの観光に随行する日だった。昨日の式典の翌日で、正直体はしんどかった。でも行った。
妻籠宿を経由して、グループ会社の製造拠点を見学するというコースだった。普通に仕事をしているだけでは絶対に踏まないルートだ。こういう経験は、式典に随行したからこそできる。昨日の夜、しんどいけど二次会まで行ったのと同じで、しんどい場面に出続けることで見える景色がある。
今日特にお世話になったのが、担当エリアの取引先の方だ。ラグビー経験者で、話していると気が合った。最近は別のグループ会社の方とも仲良くしているという話をしてくれて、「またみんなで飲みましょう」と言ってくれた。そういうつながりがグループ会社をまたいで広がっていくのは、ありがたいことだと思う。
今日の随行でふと考えたのが、キャリアとお金の話だ。今の仕事を長く続けると、自分はどうなっていくんだろう。9年目で年収が700万円を超える水準、というのが目安として頭にある。先輩が教えてくれた。そこまで続けられれば、生活は十分に安定する。今は疲弊しているけど、長く見れば悪い道ではない。そう思いながら製造拠点の中を歩いた。
1年前の自分を振り返る
今日、ちょうど1年前の日記メモが出てきた。2025年6月26日、今の仕事に異動して3ヶ月が経った頃の記録だ。読み返すと、今とは全然違う自分がいた。
以下は、そのまま引用する形で書いておく。
【1年前・2025年6月26日】新しい部署に配属されて3ヶ月、激動の日々
社会人3年目として企画・管理系の新しい部署(同じ課内)に配属されて、早くも3ヶ月が経とうとしている。前の部署(販促担当)で2年間いたが、今期から自分を含めて2名が新しい部署に加わり、前任者2名が別の部署へ異動。引き継ぎがほぼない状態で業務が始まった。エクセルも数字も苦手な自分にとっては、かなりしんどい状況だ。
引き継ぎなし、孤立無援の状態
引き継ぎがないうえに、周りも教える余裕がない。自分で情報を取りに行かなければならない状況が続いていた。課長は自分の保身しか考えていないような場面が続いており、今日6月26日に合同会議があった。
会議では、主要点攻略と関連製品との連携施策を中心に議論した。各社のアクションの良い点と課題を共有する場だったのだが、会議資料の作成が遅れた。自分の担当パートは同僚の先輩に9割9分作ってもらい、進行役まで務めてもらった。
会議開始直前の5〜10分前にようやく完成したのだが、そのとき課長が先輩に放った言葉が衝撃だった。「俺はもう見る時間がなくて、ミスがあっても知らないから、もし炎上したら俺の責任じゃないからね」と。
さらに課長は「俺は取引先側に回ってしまうかもしれないよ」と言い、先輩は苦笑いで「頑張ります」と答えていた。
連携施策の話で少し炎上した
会議が始まり、「下期が苦しいので売上アップをお願いします」「販社の年間目標まで届けてほしい」という話をした後、各社のアクションに入り議論は盛り上がった。このまま良い雰囲気で終わるかと思っていたところ、連携施策の話で少し荒れた。
提案した内容は、業界の規制変更によって関連分野の需要が伸びているタイミングに乗じて、担当商材とのセット提案を強化しようというものだった。ところが「具体策がなさすぎる」と指摘された。
中間流通業者に注力しようとしたのだが(関連製品の売上は代理店が約3割、中間流通業者が約7割という構造のため)、担当商材は中間流通業者の担当者の頭には全くないとのことだった。そちらの製品を売るので精一杯で、設備図面もそもそも上がってこない。中間流通業者で刺せるとすれば設備ルートを持った限られた業者に絞るしかない、という結論になった。
炎上した後、課長が放った一言がまずかった。「担当商材はオワコンなんで、何でもいいから流行りに乗ってやるしかない。俺も中間流通業者には売れないと思ってる」と。
課長への不信感と、自立への決意
会議室の空気が一気に変わった。「ああ、そういうこと言っちゃうんだ」という空気が全員に広がったのがわかった。課長のその言葉の意図は透けて見えた。事業を立て直せないのは自分のせいではなく、そもそも商材が終わっているからだ、という免責の姿勢だ。しかもその連携施策のアイデア自体は課長が出したものだった。「自分が思いついたアイデアだけど、俺もできないと思っている」という状況に、会議は困惑の中で終わった。
その後の懇親の場で、別の会社の課長から「オワコンはないよ。そういう話をすると士気が下がる。一生懸命やってきた担当者はどうなるんだ」という話が出た。課長は「改める」と言っていたが、もうその発言が出た時点で、自分の中では「この課長は敵だ」とはっきりわかった。
グループ会社の担当課長(長年この事業を見てきた人)は、「この商材は市場の流行を読もうとしなくていい。アクションすればするだけ成果が出るか、外れるかだ」と言っていた。それが正しいやり方だと思う。でも自分の課長は社内向けの格好いい言葉しか考えていない。現場で動く自分たちとは見ている方向が違う。
だから自分は、せめて1年かけて一人前に今の部署の仕事ができるようになることだけを目指す。引き継ぎも、教えてもらえる環境も、ない。それでも自分でやるしかない。そう決めた6月26日だった。
1年後の自分から見て
このメモを今日読み返して、1年前の自分がいかに追い詰められていたかがわかった。引き継ぎがない、課長が信頼できない、何もわからない。それでも「1年かけて一人前になる」と書いていた。
今の自分はどうだろう。式典の準備でバタバタして、課長に巻き取ってもらって、自己採点40点の仕切りをした。完璧じゃない。でも1年前よりは確実に動けている。あの頃に決めたことは、ちゃんと積み重なってきている。
明日からは通常業務に戻る。来週は22人分の手紙もある。次の式典は、もう少し自分でやれるように準備する。1年後にこの日記を読み返したとき、「あの頃より動けるようになった」と思えていればいい。それだけだ。