お盆の初日は映画ちいかわを見た

お盆に入った。初日の今日、妻と一緒に映画ちいかわを見てきた。子供向けのコンテンツという印象を持っていたが、実際に見てみると全く違った。長野なぎさんはやっぱり残酷な映画を描く人だなと思った。

映画館は子供だらけだった。でも最後まで静かに見ていて、みんなちゃんと引き込まれているのがわかった。ちいかわの人気は本物だと改めて感じた。2時間という長さで、途中少し「このままいくのかな」と思う場面もあったが、後半の起承転結がしっかりしていて、見終わった後には面白かったという感覚が残った。


セイレーンは自然を表しているんじゃないかと思った

映画の中で、セイレーン(人魚)が島に突然現れて、枝の力によって人々に様々な恵みをもたらすという場面がある。あれを見ていて思ったのが、セイレーンは「自然そのもの」を表しているんじゃないかということだ。神様という解釈もできるが、自分はどちらかというと、日本でいう自然霊や太陽のような、人間の手の届かない大きな力の象徴として捉えた。

そういう意味のわからない強い力というのは、本来は恐れ多いものとして、崇めながら距離を置くべき存在だと思う。近づいてはいけない、逆らってはいけない、でも恵みに感謝する。そういう関係性が成立していないとおかしい。


強大な力に近づいたことが、良くなかったと思う

問題は、ある兄弟がそのセイレーンに近づいていったことだ。精霊を中心に宗教的な崇拝の構造が出来上がっていて、誰もが恐れ多いものとして距離を保っている中で、近づいていってしまった。その結果として、自然の流れに巻き込まれる形でなくなってしまう。

これは「強大な力に逆らおうとして手を出してしまった」という話だと自分は受け取った。見た目が可愛らしい存在であっても、本質的には人間の理解を超えた力を持っている。それをわかっていながら近づいたのか、わかっていなかったのかはわからないが、どちらにせよ良くない判断だったと思う。


だから復讐には反対だ

映画では復讐という展開が出てくる。仲間が襲われて死にかけたことへの怒りは理解できる。でも自分はその復讐には反対の立場だ。

セイレーンが「悪い」のではなく、近づいた側に問題があったという解釈だからだ。自然災害に遭った人が、自然そのものに復讐しようとするようなものだと思っている。むしろその出来事を教訓として、村のみんなが「もっと敬わなければいけない」「もっと距離を置かなければいけない」という学びにすべきではないか。フィクションとしての展開はそれはそれで面白いが、自分の中での立場としてはそう思っている。


妻は復讐派。感想戦が楽しみだ

妻に感想を聞いたら、「もし仲間があんな風に襲われたら、復讐する」と言っていた。完全に意見が割れた。

自分は「強大な力には逆らわない・近づかない」派で、妻は「仲間を守るために戦う」派だ。どちらが正しいというわけではないし、映画としての面白さはその葛藤にある。こういうことを二人で話せる映画は、見て良かったと思う。

長野なぎさんはキャラクターが可愛いのに、描く世界は残酷だ。そのギャップがちいかわの面白さであり、大人も引き込まれる理由だと思う。お盆の初日に、いい映画を見た。