サラリーマンの生活は、思っていたよりも自由がなく、正直地味だ。
毎日働いて、気づけば1週間が終わる。気づけば1年が過ぎる。
とはいえ、このまま何十年も同じ日々を繰り返して、本当に後悔しないのだろうか。
やってみたことだから繰り返しの日々で「いつかやれたらいいな」「あのときやればよかった」という“たられば”で後悔しないように、考えたこと、を記録することにした。
それがいつか誰かの背中を押せたら、なおうれしい。

あざらし
中の人はあざらしです。instagramやってます。
たらればラボ中の人のプロフィール
タイトルとペンネーム
まずブログタイトルの「たらればラボ」はゴロがよくて覚えやすいタイトルで気に入っているんだけど、ペンネームの「あざらし」はあまり考えずに適当に決めてしまった。この名前はいつか変える予定。
ここでは一人称を「私」として自己紹介をしたい。
岐阜県民
私は2000年の平成12年生まれだから、この記事を書いている段階では25歳だ。日本の総人口の1.6%しか存在しない貴重な岐阜県民で、一応高校も大学もラグビーで入学している。プロ選手にはなれず、今は岐阜の山奥でメーカーに勤めながら生活している。仕事は座りっぱなし、パソコンとにらめっこはもう飽き飽きだ。最近結婚して日本一暑い町になったこともある岐阜県多治見市に引っ越した。

たらればラボの中の人の人生観
私は幼少期、両親と過ごす時間が長く、恵まれた家庭環境で育った運のいい人間だと思っている。ただ一方で、臆病でさぼり癖もあり、大学までは親の助けなしでは自立できなかった情けない人間でもある。
常に肯定されて生きてきたせいか、無駄にプライドが高い。人前ではハキハキと話すくせに、傷つくのが怖くて人と深く関わろうとしない、コミュ障でもある。
自分に自信がなく、人前で強く取り繕ってしまう。そのせいで人と話すことにひどく疲れ、継続的な関係を築くことができない。生真面目な日本人にありがちな気質なのかもしれない。
現実を受け入れる
とはいえ、このままではいけないと思い、幼少期からあえて人前に出たり、リーダーを引き受けたりと、自分を追い込んできたのも事実だ。
自分の中の理想像は、常に肩の力が抜けていて、一緒にいても気疲れせず、自然と人が集まるような人。いつか自分もそうなれたらと、漠然と思いながら過ごしてきた。
しかし、理想の自分を追い求めるほど、かえって疲れてしまう。理想を追うほど本来の自分から離れ、疲れるほどさらに理想から遠ざかる。
社会人になって初めて、「人は人、自分は自分」と割り切ることの大切さに気づいた。理想と現実の自分は違う。その違いを認めることこそが、ようやく自分のスタートラインなのだと思う。
